武蔵野の情景
2005年 07月 28日
「武蔵関の池」 F8号 悳 俊彦(T.ISAO)昭和10年東京生まれ
武蔵野ひとすじにえがく画伯の愛惜の情と決意の堅さは高く評価されている。念願叶って今春収集できたこの作品も郷愁を感じ思わず見惚れる。
「武蔵野は気心の知れた幼友達である。武蔵野は私を絵へ導いてくれた師である。滅びゆく武蔵野をかくことが、私の画家であることの証しである。」だれでも生まれ育ったところには親しみを持つ。「画家もそこをかくのが一番ノーマルな考え方」だという。だがこの人のように10数年来作品の8割以上が武蔵野というのは異例だ。「美しさが強いので、よそへ行く必要を感じないのです。」この人のかく武蔵野は人が見過ごすような平凡な景色を題材にする。雑木林、けやき、農地。「武蔵野の美しさは農耕によって作られた自然美」それがどんどん侵され、すり切れている。「今では自転車で1時間走っても“私の武蔵野”はでてこない。取材するのに1秒を争う状態になっているんです。」(東京新聞(昭和49年11月13日)より)