パリを魅了した異邦人 藤田嗣治

c0340785_15260338.jpg
藤田ほど栄光と挫折の間を行き来し起伏に富んだ生涯を送った日本人画家はいないといわれている。


日本画壇ではパリでの成功を妬まれ、日本に戻って戦争画を描けば戦争責任の批判をされた。
そして日本を去りフランスに戻った藤田は69歳でレオナール・フジタとしてフランスに帰化、最後の仕事としてランスの礼拝堂を完成させ、81歳の生涯を閉じた。

藤田は生前、「日本に生れて祖国に愛されず、フランスに帰化してもフランス人としての待遇も受けず、お寺を作るのは私の命の生根の試しをやってみるつもりだ」と語っている。

かつて40代の藤田は随筆で「私はフランスにどこまでも日本人として完成すべく努力をしたい。私は世界に日本人として生きたいと願う。それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」と記している。

生涯を通して日本人としてのアイデンティティーを求め続けた数少ない芸術家である。いや日本人である。
没後38年を経て、今や日本とフランスを代表する世界の画家としての高い評価を得ている。

初日28日にひととおり鑑賞したつもりだったが、藤田の人間としての魅力に後押しされもう一度ゆっくり見に行きたいと思う。


Commented by アートバン at 2006-03-31 21:48 x
藤田画伯にそんなジレンマがあったとは知りませんでした。ますます見に行きたくなりました。

by kokoro-tomnog2005 | 2006-03-30 23:25 | アートな日々 | Comments(1)

日々のことをお気軽に綴っています。(トムノグ)


by トムノグ