今だから笑えるあの頃の話し
2007年 12月 11日
今夜テレビで今人気のボクシングチャンピォン内藤選手が子供の頃、母親の作った弁当のことで嘆いていた。
なんでも「もち米の上にアンコをしきつめた」弁当ということ。学校で恥ずかしくて食べられずイジメの原因にもなったと笑っていた。
どこかで見たような聞いたような話し・・・
2006/02/09別館ブログ
「飲んで食べて有頂天そして」から
「こんな弁当あり?」
忘れもしない保育園に通っていた5歳のある日
(昭和34年頃のこと)
仕事をしていた母は忙しく、こまめな弁当など作るゆとりもなく、普段はご飯の上に適当なおかずが二、三品乗っている程度の弁当だったがこの日は違った。
よほど忙しかったのだろう。
ご飯を炊く時間もなかったのだろうか。
5歳の幼児は弁当箱のふたを開けて唖然とする。
そして次の瞬間、ボロボロ涙があふれてとまらなかった。
おかずは上等でなくても、ご飯の弁当を
幼児ながら楽しみにしていたのに。
その衝撃的な弁当は
ジャムパン(当時の菓子パン)が
ちゃっかり弁当箱の中に収まっている姿。
こんなのあり?
母は元来、家事に関してアバウトだった。
本人の名誉のためにあえて、かばうとすれば夜遅くまで仕事をしていたことと、おそらくこの前夜、父は夜勤だったと思われる。
後にも先にもジャムパン弁当事件はこの一度だけだった。
今やこの事件は時効で迷宮入りとなったが私はパンが嫌いになった。しかし父84歳 母79歳 健在、 今となっては「こんな弁当ありだよ!」と言うしかない。
弁当箱は青色のアルミ製だったと思うが白いヨットが描かれていた。弁当の中味より弁当箱が好きだった。
(上の写真はイメージなので実物と違うものです。)