父 逝く
2009年 07月 13日
春先より体調を崩していた父が8日永遠の眠りについた。
87歳なので天寿をまっとうしたと言えるが別れはつらい。
父は生前、入院治療することになったら延命措置は望まないと言明していた。
2ヶ月の自宅療養と2週間の入院治療は日増しに衰える身体を止めることはできなかった。
しかし母と姉の懸命な看護は父に伝わっていた。
久しぶりに看護の手伝いをした私は8日の朝方、父の傍らにいた。
酸素吸入のマスクが邪魔して言葉がうまく伝わらない。
父は何度も私に語りかけてきた。
自分の最後を悟っていたのだろう。
にこっと笑って、突然補聴器をはずして私に手渡した。
「はずしたら聴こえなくなっちゃうよ」と言う私に
「うん」と言って首を振った。
これが私との最後のやりとりとなった。
昭和の激動期に無我夢中で働いて家族を守った。
定年後はそれまでの苦労を消すかのように母と第二の人生を大切に過ごした。
葬儀は父の意思を尊重し、孫6人とひ孫3人を中心に花いっぱいの明るいものとした。
ポマードでがっちり固めたへアースタイルにサスペンダーのズボンでポーズをとる若かりし頃のオシャレな写真から、孫とひ孫に囲まれてイイおじいちゃんになった写真まで、87年の人生は1枚のDVDにまとめられた。
親父
ありがとう。
おふくろのことはみんなで大切にするから。
[E:capricornus]
心からご冥福をお祈り申し上げます。
>親父
>ありがとう。
>おふくろのことはみんなで大切にするから。
涙がこぼれました。
そう言えば、私の父は60代で亡くなったのですが、昏睡状態の時、私が「ありがとうね」と声をかけたら、両方の目から涙が・・・。
聴こえたのでしょうかねぇ。
トムノグさんのお父様にもトムノグさんのお気持ちはきっと届いているでしょう。
ありがとうございます。
父は直前まで意識がしっかりしていたので
お互いの意思疎通はできたと思います。
ムーンライトさんの御父様は
60代ですか。
まだまだこれからでしたでしょうに。
私などは恵まれている方です。
でも幾つになっても親子なので
もっともっと長生きをして欲しかったです。
いつも元気な姿を思い出しています。また、私の父母の葬儀にもお手伝い頂きありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
ありがとうございます。
昔は近所同士助け合って生活してましたね。
こちらこそご両親はじめご家族の皆様に
お世話になりました。
先日まさきたさんのお姉さん(長姉)にお会いする
機会があって、お姉さん言われていました。
「自分が幾つになっても親には生きていて欲しいと
思う」
今となって私の身の上に置き換えてみて
全くそのとおりに感じています。