カテゴリ:アートな日々( 135 )

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小村雪岱(せったい)をご存知だろうか。
大正初期から昭和15年まで装釘家・挿絵画家・舞台装置家として一世を風靡した天才芸術家である。
泉鏡花の本の装釘は雪岱がほとんどを手がけている。
ちなみに「雪岱」という号は鏡花が名付けた。

「私の描く人物には個性がありません。これが私の絵の特徴で同時に私の最も非難される点です。しかし個性を描出することには興味が持てないのです。」と生前中に語った雪岱。

能面のような無表情さは、ある時は泣いているように見え、ある時は笑っているように見え、その時のふとした表情の動きがたまらない魅力であり軽妙な美しさといわれている。

雪岱の描いた原画類は戦災で焼失したり遺族が処分したために行方不明になっているものがほとんどである。そうした中、私の知るある郷土史家が長年にわたり小村雪岱書誌研究を続け500点を上回る作品目録と装釘本や挿絵を収集し資料として残した。
郷土史家はすでに亡くなったが、「雪岱の関連資料のおよそ7割はここにある」と自分の書斎で語ったことがある。
「できれば公開したいなあ」とも。
その意志を平成13年に遺族が成し遂げた。
ある文学系の公施設に寄託したのだ。貴重な資料として後世に残す道ができた。
小村雪岱の業績の一部が価値のわかる郷土史家によって残され公開された功績は大きい。

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泉鏡花「日本橋」
雪岱が鏡花と組んで装釘をした最初の本である。
現代にも通じるデザイン的センスは素晴らしい!

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こちらは
泉鏡花「斧琴菊」*(よきこときく)
装釘 小村雪岱
なんと洒落た色彩だろう。


*「善き事を聞く」の意を暗示するもの。



by kokoro-tomnog2005 | 2006-09-01 22:51 | アートな日々 | Comments(2)

心の画家たち 風土展

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武蔵野風景画の第一人者である悳 俊彦(ISAO TOSHIHIKO) 先生の作品がついに鑑賞できる。

「武蔵野は気心の知れた幼友達である。武蔵野は私を絵へ導いてくれた師である。滅びゆく武蔵野をかくことが、私の画家であることの証しである。」と語っている。
武蔵野風景をご存知の方ならきっと郷愁を感じ、人の心を思うにちがいない。

http://ficskokoro.blogzine.jp/nog/2006/05/__a18c.html

東京セントラル美術館(中央区銀座2−7−8銀座貿易ビル5F)
9月11日(月)~9月17日(日)午前10時~午後6時(最終日5時)


by kokoro-tomnog2005 | 2006-08-30 09:52 | アートな日々 | Comments(2)

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今日、仕事の合間に行ってきました。白金台という場所がら閑静な場所にありました。

入館者も適当にばらけていて静かに落ちついて鑑賞できました。

展示室の始めは、キスリングの「グレシー城の庭園」(1949年)
この作品はつい最近描き上げたばかりのように鮮やかでした。美術館の展示方と照明が巧みなのでしょうが絵の具が乾いていないかのように感じました。
シャガールの油彩とリトグラフ6点、藤田の油彩とエッチング3点はイスにかけて数十分見惚れました。
ほかにピカソ、ルオー、ユトリロ、ローランサン、モディリアーニなど馴染みの作品が展示されていました。
作家それぞれの思いが伝わってくるような空間に満足しました。

松岡美術館の所蔵品は創立者・松岡清次郎(1894−1989)によって収集され、1975年(S50)新橋の自社ビル内に美術館を開設、2000年4月に創立者私邸跡地に現在の美術館を建設しました。
http://www.matsuoka-museum.jp/


松岡清次郎の企業人としての顔は、不動産・流通倉庫・教育事業を堅実に進める松岡地所株式会社グループの創設者でした。
この会社の理念は「世の中の流れに踊らされることなかれ。前向き、真摯、ひかえめに努めよ。不断の努力、怠るべからず。」

品格と知性を感じる美術館の裏付けは、この企業理念だったんですね。 久しぶりに商業主義の匂いがしない美術館でした!


by kokoro-tomnog2005 | 2006-07-13 22:34 | アートな日々 | Comments(4)

エコール・ド・パリ展

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松岡美術館(東京・白金台)でエコール・ド・パリ展が開催されています。
藤田嗣治、ユトリロ、シャガール、マリー・ローランサン、モディリアーニ、キスリングなど約45点の作品が展示されています。


1920年頃、パリに移り住んだ異邦人画家たちをパリ派(エコール・ド・パリ)と呼びます。一様に哀愁ただよう作品で現代でも十分通じる心を感じます。

これだけの作品が一度に展示されることは貴重です。

藤田嗣治生誕120年が企画に色を添えています。
観賞の価値大です!


9月3日まで(一般800円)

都営三田線・白金台駅 徒歩6分


by kokoro-tomnog2005 | 2006-07-12 22:26 | アートな日々 | Comments(2)

坂本繁二郎回顧展

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6月16日(金)~7月8日(土)
ブリジストン美術館(東京・京橋)
http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

25日(日)所用の途中立ち寄る。

中央画壇とは一線を画し、生涯高踏的な独自の画風を貫いた
坂本繁二郎、人生の画期とモティーフの変遷を5つのシーンに分けて作品150点が展示されている。

1 洋画との出会いと模索 1898−1920
2 フランス留学と自己への確信 1921−1924
3 美しき郷里と馬 1925−1942
4 深まる芸術・能面と静物 1943−1963
5 晩年のはなやぎ・月と馬 1964−1969

日本人であることに誇りを持ち、自然と人間を見つめることから生み出した作品の数々は日本の豊かな自然と奥ゆかしい人情を表現している。


by kokoro-tomnog2005 | 2006-06-27 22:33 | アートな日々 | Comments(2)

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これは12年前、知り合いの古書店で購入した古書資料に製本されていた版画です。

くずし字が解読できないので文体がわかりません。
「紅葉・・」という烙印らしきものがあります。
鶴の絵には「桂夕」というこれまた烙印らしきものがあります。

ほかにこんな艶っぽいものもありました。
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湯上り美人の画といったところでしょうか。
やはり「桂夕」という烙印らしきものがあります。

2品ともどういうものかわかりません。年代物の古書資料(明治か大正か)の中に製本されていたもので、当時このような刷物が流行っていたのかもしれません。

額装すればそれなりに、放っておけばただの紙屑に。


by kokoro-tomnog2005 | 2006-06-06 23:32 | アートな日々 | Comments(2)

絵画の価格って

絵画のサイズは号数で表示されています。0号から始まり1、SM、6、10、30といったような具合です。

最近、インターネットや雑誌で作家の評価が号10万円の場合、10号の作品は10万円×10号で100万円だというような記載が見受けられます。それだと100号の大作だったら1,000万円にもなってしまいます。
市場取引でそんなことはなく、実際には比例評価が現実的です。
例えば号10万円評価なら3号で35万、6号で55万、10号で80万という感じです。しかしこれも作家によってはもっと高くなったり、低くなったりします。実のところ号評価というのは価格の実勢を知る手がかりにはならないということです。
あくまでも作家の人気や知名度の目安ととらえた方が正解です。


本来は作家自身の評価作品の内容出来映え保存状態などを総合的に勘案して決められます。
わかり易くいえば多くの見る人の心をとらえて離さない魅力のある作品が高い評価を受けるということです。
画商の方々が決める評価は以上のことを踏まえた上で長年の経験によって出されるものです。

テレビで紹介される絵画鑑定などを見ていると必ず上記の
アンダーラインを引いたところの言葉が出てきますから注目してみてください。

要は絵画が商品ではなくあくまでも美術品であるというところが定形価格がないということなんです。
作品を何度か買ってみるとその辺がわかってきます。

購入してじっくり手元で作品を見直した時「これはいいものを手に入れた」と満足するか、「高い買い物をしてしまった」と後悔するか。
適正価格は購入後に見えてくるものだともいえます。


以上素人収集家のたわ言でした。


by kokoro-tomnog2005 | 2006-05-11 19:24 | アートな日々 | Comments(2)

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悳 俊彦(ISAO TOSHIHIKO) 「武蔵野残照」30号 油彩
個人コレクション


「武蔵野が農耕によって作られた自然であることに特別の愛着を感じる。」
(悳 俊彦)

悳 俊彦が武蔵野に思いを込めて描いた稀少画が再び注目をあびている。

手前に畑と荒地、後方に屋敷守といわれる防風林がそびえ一軒の農家がひっそりとうづくまり、葉を落としたケヤキの大木が扇状の梢を空高く突き出している。


今やこうした武蔵野の面影は西東京と埼玉西部のごくごく一部に残るのみとなってしまった。現実の武蔵野風景のほとんどは消えてしまったのだ。


悳 俊彦の作品から我々は大地に暖められた祖先の愛を感じ自然のありがたさを遅まきながら確認しなければならない。
そして武蔵野原風景を一貫して描き続けた画家が自然の尊さを30数年前から世に警鐘していた事実を知らなければならない。


by kokoro-tomnog2005 | 2006-05-06 18:14 | アートな日々 | Comments(6)

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東京国立近代美術館「生誕120年藤田嗣治展」には連日多くの入場者が訪れている。なんといっても世界レベルの日本人画家の作品が100点も展示されることはこの先ないかもしれないからだ。

私は初日に観覧し当然感動ものだったが作品のおよそ4分の1の所蔵が「平野政吉コレクション」または「(財)平野政吉美術館」だったことに違和感を覚えた。
藤田ほどの作品が特定の一個人の手にあったとは。

それから数日、平野政吉なる人物を調べる。完全に私の勉強不足だった。
昭和11年秋田の富豪・平野政吉の招きで藤田は秋田を訪れている。二人は実はその7年前の昭和4年に東京の展覧会で顔を合わせている。それ以来、平野は藤田作品の熱心な収集家になった。そして大作12点を買い上げたのをはじめ、秋田の四季を描く大壁画の製作を依頼、挙句は美術館まで造ってしまった。

すでにフランスで評価されていたあとのこと、藤田をこれだけ支援した人間は平野政吉ただひとりだ。
藤田にとって画家という職業を考えれば平野は大恩人である。
平野は美術館を「藤田美術館」と称する計画で、フランスに住む藤田を訪ねている。
しかし最終的に「平野政吉美術館」となった。生涯の友誼を結んだはずなのに藤田はその美術館を訪れていない。ふたりの間にいったい何があったのか。

昭和43年に藤田が平成元年に平野がこの世を去る。藤田と平野の互いの思いは、最近さまざまな文献で明らかになってきたが
藤田が描いた作品を平野が収集し、その作品群はまぎれもなく「生誕120年藤田嗣治展」を見事に飾っている。

最終的に何らかの確執があったにせよ後世は結果としての世界的遺品を評価している。


パリを魅了した異邦人 藤田嗣治
http://ficskokoro.blogzine.jp/nog/2006/03/post_bbe9.html
エコールドパリ 藤田嗣治
http://ficskokoro.blogzine.jp/nog/2006/03/post.html

by kokoro-tomnog2005 | 2006-04-20 23:14 | アートな日々 | Comments(4)

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藤田ほど栄光と挫折の間を行き来し起伏に富んだ生涯を送った日本人画家はいないといわれている。


日本画壇ではパリでの成功を妬まれ、日本に戻って戦争画を描けば戦争責任の批判をされた。
そして日本を去りフランスに戻った藤田は69歳でレオナール・フジタとしてフランスに帰化、最後の仕事としてランスの礼拝堂を完成させ、81歳の生涯を閉じた。

藤田は生前、「日本に生れて祖国に愛されず、フランスに帰化してもフランス人としての待遇も受けず、お寺を作るのは私の命の生根の試しをやってみるつもりだ」と語っている。

かつて40代の藤田は随筆で「私はフランスにどこまでも日本人として完成すべく努力をしたい。私は世界に日本人として生きたいと願う。それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」と記している。

生涯を通して日本人としてのアイデンティティーを求め続けた数少ない芸術家である。いや日本人である。
没後38年を経て、今や日本とフランスを代表する世界の画家としての高い評価を得ている。

初日28日にひととおり鑑賞したつもりだったが、藤田の人間としての魅力に後押しされもう一度ゆっくり見に行きたいと思う。


by kokoro-tomnog2005 | 2006-03-30 23:25 | アートな日々 | Comments(1)

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