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先憂後楽


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これほど政治は劣化するのか。
ここ数年の政府のありように眼を覆いたくなるような場面が何度あったろうか。
国を憂う国民の一人として情けない。

そんな中、毎日新聞・夕刊のコラム憂楽帳に的を得た記事があった。
作家の故・丸谷才一氏がかつて次のように嘆いたと言う。
「言葉は精神の表れ。言葉が政治の根幹とすれば、政治を担う資格のない人が政治をやっている。
そのことにすら政治家は気づいていない。」

いやいや全くそのとおり。
ごまかそうとするから稚拙な言葉だったり本質の言葉が足りない。
正々堂々と行っているなら難しい言葉でなくても説得力はある。

我々国民も目先の楽を追ってその後の負を抱えてはならないのにまさに「先楽後憂」の状況。
日本国民は本当は馬鹿なのか、と疑いたくなる。

「先憂後楽」 今一度、言葉の重みを考えてみよう。




Commented by 市民太郎 at 2018-07-03 16:51 x
初めまして。ブログを拝見させて頂きました。
少し気になりましたので、恐縮ですがコメントさせて
頂きました。私が少し書道(らしきもの)をかじっていた時に「先憂後楽」という言葉を書きました。まだ、落款すら持っていない時の書でしたので、裏打ちもせず、しかし捨てるには惜しいので、部屋の片隅にひっそりと・・。やっと本題に入りますが、書道の先生から伺ったところによりますと、先憂は上に立つもの(社会的地位でしょうか)の意味で、後楽はそれに従うもの(所謂、庶民でしょうか)という意味だということでした。
つまり。上に立つものは下の人の為に努力(苦労)をしなさい、さすれば皆が楽しい生活を送れる、という戒めの言葉だということでした。
私は常々、社会的に偉い人と呼ばれる人達は、そうでない人達の為に力を遣うべきと考えておりましたので、この言葉を選んで書いてみたくなったのだと思います。
[多分、この言葉は私をも含めて多くの方々が「先に苦しめば(努力をすれば)後から楽になる」と解釈されているのでは?と感じています]
実はこれは、私の母の祖父が現在でいうところの都議会議員を務めていた時のことを、母から聞いたことが元になっているのだと思います。明治43年生まれの母でしたので、もちろん明治時代のことではありますが、曽祖父は近所の方々のもめごとや相談事を聴いては、解決の方法を探してあげていたそうです。時にはお金も使ったそうです。本職は薬屋だったのですが、あまりに忙しかったのか、本当はもう議員は辞めたいと言っていたそうですが、周りの方々から、もっとやってくださいと頼まれ、断り切れなかったそうです。そんな話を小さい頃から聞いていた私は、上に立つ人(例えば議員)は大変だなとつくづく感じていたものでした。ところが、最近では、お金を稼ぐ為や自分の名をあげるための議員などが多く見かけられます。特に国のトップになった人達も
親の評判を追い越し、認められたいという欲求(承認欲求)を政治の世界にまで持ち込み戦争や人殺しまでする始末。トップがこうですから、大学やスポーツの世界にも悪い影響を及ぼしてイライラが止まりません。このような事態を時代の流れといって嘆くだけでは何の効果もありませんが、何とかしたいと言う心だけはまだありますが・・・。小心者のつぶやきです。

Commented by kokoro-tomnog2005 at 2018-07-10 10:50
市民太郎様 詳細なるコメントありがとうございます。
言葉の重みをしっかり受け止める、大事なことと思います。
by kokoro-tomnog2005 | 2017-07-05 12:17 | お~い ニッポン | Comments(2)

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