義父逝く

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伊豆に住む義父が7月3日、91歳の生涯を閉じた。
フォトの夕陽を何度見たことだろうか。
伊豆に生まれ、伊豆で逝った。
亡くなる当日まで家族と会話し、長患いせずあっと言う間に逝った。
直前、家族にどういう死に方をするか楽しみだと言っていた。
義父らしい言葉だ。

義父は14歳の時に単身満州にわたり、戦時中は満州鉄道で働いた。
満州での体験は厳しいものがあったのだろう、語ることはあまりなかった。
戦後、T社に入社した。
正義感にあふれリーダーの素養があったことから労働組合の委員長へ。
ついには業界の連合労働団体の委員長も務めた。
しかし特別な政治思想は持たず常に中立だった。
そんな義父は多くの人から慕われた。

会社定年後は、カーネーション農家として地場農業の変革に寄与した。
併せ地元議会の議員として3期務めた。
義父の政策は地場産業の育成と津波対策だった。
それも見事にやり遂げ、郡町村議会会長も務めた。
一貫して私利私欲は無く、人のため、地元のために働いた。

70代で議員を辞め、ついでに孫の希望で煙草も酒もやめた。
身体を大事にし、好きな俳句や家庭農園で穏やかに暮らした。
公職は社協の会長を続けた。真面目に地域で支える福祉を考えていた。

4年前に叙勲の対象者であると役場から連絡をもらった。
本人はそんな欲はなく辞退する意向だったが、娘たちから「孫やひ孫におじいちゃんの功績を考えさせる良い機会だから」と意見され、渋々受けることにした。
「俺はそんなんもの欲しくないや。子や孫、ひ孫に囲まれている幸せで十分だ。」と何度も言っていた。

毎年の元旦は19人の一族で新年を祝い、ひ孫たちのかくし芸を見て大笑いしたり大きな拍手をしたり満足していたように思う。

91歳ということもあり同世代の方はほとんどいないので葬儀は地味に執り行う予定だった。
しかし予想外の多くの人が参列し見送ってくださった。

今頃、それなりにいい人生だったと思っているに違いない。
お疲れ様でした。ゆっくりお休みなさい。







by kokoro-tomnog2005 | 2018-07-23 09:05 | 人の生き方 | Comments(0)

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